小倉動物園

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2016年2月14日日曜日

お互いが妥協して成り立つ空間

2 件のコメント :
僕の個人的な見解を書く。僕は復帰後のプレイヤーであり、復帰前に起こった事は知りえていないことを承知していただきたい。

話の根底は「"おそらく"大多数の参加者が普通(参加者の大多数が優勝を目指し、想定されたレベル・ステータスで優勝を争う)に遊ぶ事を望んでいる中、以前一部で問題視されたレベルを上げすぎる、反撃解除で稼ぐというプレイをするのは、"おそらく"大多数の参加者が迷惑を被り、やる気を無くして、人が減り、ゲームが成り立たなくなる。それでお互い困るのではないか」

「そして、暗黙の了解で成り立っている部分を"そんな事は知らない、好きに遊べばいい"と大手を振って言う人がいる。お互いが妥協して、片方が黙っていることによって均衡を保っている点を"禁止されていないのだから好きにやる(少なくとも想定から外れてしまう)と宣言しているように取れる発言・行動を繰り返す"、そして今あげた問題を全体の問題として波及させようとしている(ように見れる)ところに対して、上記に上げた"普通に遊ぶ"ことを目的としている人が快く思えない」
そういった状態に見える。

僕個人の意見は、「禁止されていないからといってやりすぎてしまって禁止される、管理者の手がかかるところに問題が波及してしまう」という点はNGだと思っている。そもそも僕らは管理者に対して金銭を払っておらず、管理者の善意、参加者の善意によって成り立っている空間を共有している。

自分のやりたいようにやる人、賭博にぶっこむ人、ハッキングを狙う人、なんとなく登録している人、対人ゲームとしてある程度のバランスが担保されたものを遊びたいと思う人。
それら全ての人がお互いがこの空間で遊んでいたい、と思うからこそ成り立つ空間だ。
その参加者たちの誰かに、荒しと思われてしまいかねない行為の判断はとても難しい。明確な線引きが無い。誰かが、多数が"問題だ"と声を上げた瞬間、それは一つの空間の中の問題点として認識されてしまう。
しかも僕らは人間で、言うことに一貫性を保つのが難しい。感情によっても左右されてしまう。

今回問題ではないのかと声を上げている人たちにも感情はある。その人たちが目指したいと思う世界がある。そして意図せず話題の中心になってしまった人にも感情があり、やりたいこと、やりたくないことがある。そこを埋められないものかと妥協点を探す話し合いは必要になってくる。
なぜなら、そうして片方の(もしかしたら)少なくない人が、共有している空間を必要としなくなり、居なくなってしまったら。

僕はそうして消えていったところを何度も見てきた。少なくとも無くなってしまう可能性に触れたくないと思っているのならば、そこはお互いが譲歩し、どうしたらいいのか話し合わなくてはならない。
言葉が悪くなってしまうものの、他の表現が見当たらないので使用するが、村社会的であるところにおいて(そして村社会的であるからこそ存続している点が否めないということを含めて)お互いが郷に入ってルールに従い、これからも遊んでいきたいと思う場合、避けて通ってはいけない義務の一つになる。