コメントは名前/URLを選択していただければ入力出来ます。

2017年4月15日土曜日

殺人の追憶:韓国映画も面白いのあるのね

0 件のコメント :

殺人の追憶

僕の好きな映画レビューで、おまけ程度に紹介されていたので鑑賞。
前々から「邦画は完全に韓国映画に負けてしまってる」と言われていたのを全く分からなかったのだけど、確かにうなずける内容だった。

1986年に起きた連続殺人事件のドキュメンタリータッチ映画

華城連続殺人事件というのが過去に韓国で実際に起こっている。(未解決→公訴時効)
当時の情勢、警察事情を笑えるギリギリの範囲(といっても僕は結構ひいた)で映しながら、後半になるにつれて一転、重く暗い犯人との対峙を描いていく。

自白強要、雰囲気が抜群に伝わる"許される暴力"

映画当時の韓国の警察の横暴は凄まじく、現場保存が出来ない、証拠捏造は序の口として、そうやって拘束した容疑者に取調室では執拗に暴行、自白を強要する。
特に寒気を感じたのは、知的障害を持っているであろう第一の容疑者への暴力と言いくるめるときの、刑事たちのへらへらとした顔、雰囲気。
いじめに等しい同調圧力をかけるときの雰囲気を、生々しく映していく様は嫌悪を感じると同時に、すごい映作りだなぁと感心してしまった。

全てを生々しく映す

生々しいのは暴力だけに留まらず、当時の衛生配慮の足りて無い町並み、人の姿、汚れ(見ていて撮影場所は北朝鮮かと思うほど・・・)も完璧に映像に収められている。しかしコメディタッチの前半と、どこか牧歌的な日の光溢れる映像も、3人目の容疑者の登場で一転、薄黒い光と、息がつまる雰囲気が支配する。

落差によって表される暴力の性質の違い

それまでコメディチックだった取調べも、犯人を追い詰めるための物になる。
尋問も厳しいものになり、自白強要の暴力も、相手を殺す一歩手前までの、遊びの無いものへと変質する。刑事たちの顔も、犯人逮捕への使命と憎悪の入り混じった険しいものとなり、どんな手を使っても逮捕するという雰囲気は、前半との落差によってこの映画の本質を見せ付けてくる。

逮捕出来ないからこその演出

この映画の犯人は二人いる、というのを見終わってしばらく理解(というより解釈の仕方か)出来なかった。
ラストは主人公の一人がじっとこちらを見つめている。
連続殺人の共通項に関して、一部齟齬をきたす演出をされていたのを思いだすと、その目線がどこを向いてるいるのかに気づいた。
確かに二人いると解釈できる。それ込みの連続殺人の齟齬の演出だとすると、映画として、実事件をなぞるストーリーとして満点だなぁと最後まで感心する映画だった。
_

0 件のコメント :

コメントを投稿